あなたの人生は「衝動エネルギー」で決まる

人生を創る 衝動運命学 入門

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結婚と封印2

結婚の際に受ける封印はこれだけではありません。
それは

自分のココロの奥深くに存在している家系の運命傾向を
象(かたち)にしてくれる異性を配偶者として選ぶのです。


例えばあなたが離婚の多い家系に生まれ
「配偶者関係が悪化する運命傾向」
「強い離別運」を持っているとします。
一言で言うと結婚運が悪いということです。

そうすると、あなたは安定した結婚生活をするような
男性を好きにはなりません。
どういう男性を好きになるかと言えば、
離別する可能性の強い男性を好きになるのです。
職場で多くの男性に囲まれていても
結婚運の悪い男性を好きになるのです。

結婚運の悪い男性を好きになり
離別運が現れているときにわざわざ結婚し、
そしてしばらくして別れるのです。


本当にこういうパターンで結婚する人は多いのです。
彼らは離婚するときにお互いに
○○が悪い、△△が悪いと相手を攻撃しますが、
そういう男性を好きになったことが一番の原因ではないでしょうか。

でも不思議にそういう女性は、安定した結婚運を持つ男性を好きにならないのです。
これが、無意識からの制約、つまり封印なのです。
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結婚と封印1

結婚と封印とは大きく関わっています。
人間は無意識の封印を受けたまま結婚します。
無意識に封印されたまま相手との婚姻の契約をするのです。

結婚の際に受ける封印の特徴は何かというと
「一方的な理想化」です。

相手の持ち札の全てを見ようとせず
自分に都合のいい部分だけを強調して見てしまい
自分にとって理想の人と思い込み
関係も永続できると思い込んでしまう。

ということがまず挙げられます。
結婚を経験した方はこの文章を読んで
その通りだと納得されるでしょうが
そういう人でも、再婚するときには
この通りの心になってしまうのです。

これは無意識によって意識の認識、判断能力が
差し止められていることに他なりません。
この無意識の働きを「封印」というのです。

封印1

最近私は「封印」についてよく考えます。

我々は無意識の影響力のもとで生活しています。
すべて無意識に管理されていると言っても過言ではありません。

たとえば

・思考・行動パターン
・興味の方向
・好みの異性・職業
・結婚の形態
・かかりやすい病気


これらはすべて無意識に影響されています。

だから心の向かう方向も運命的な出来事のいずれも
それをひっくるめて「封印」と表現しています。

この封印の支配下から離れて運命を考えることができたとき
はじめて自分の運命軌道が姿を現します。
それまではすべての運命軌道のうち
自分が見たいと思ったところだけを見ていたのです。
無意識によって“見せられていた”とでも言いましょうか。


同様に封印からくる思考パターンから離れてはじめて
無意識の敷いたレールから離れていくのです。

封印の強さは知能の高低とは全く関係ありません。
また年を重ねるにつれて封印の力は確実に強くなっていきます。
だから私は運において封印という要素ほど重要なものはないと思っています。

未来の予測も封印の力に負けているうちは“占い”で終わります。
封印の引力から抜け出してはじめてあなたの将来は変化するのです。

真実はいつも闇の中に

前々回(乃木大将の敬礼)のつづきなんですが、

伊藤さんの話を聞いていると、随所に日本の歴史を感じるところがあって
びっくりさせられることが多いのです。

例えば

「…空襲が多くなってきた頃、吉田のおじさまの勧めで、
 当時住んでいた家よりも、おじ様さまが持っていた空き家の方が
 安全だろうと言って高台の○○町に引っ越した。
 そうしたら空襲でそれまで住んでいた××町は全滅した…」 

とおっしゃったのを何気なく聞いていましたが
よくよく話を聞いてみると、「吉田のおじさま」とは
なんと吉田茂首相のことだった、とか

「…博文翁が亡ったあと、井上のおじさまが家に乗り込んできたらしい。
 それからというもの、親父はえらく厳しく教育されて辟易したそうだ…」

とおっしゃるのでよくよく聞いてみると
「井上のおじさま」とは、井上馨卿のことだったのです。

など、歴史の本を読んでも知りえないような話が次々出てくるのです。
その他にも、名前は控えますが、

「母方の○○さんは福井の松平春嶽候の○○で…」

という、はぁ~と溜息をつきたくなるような気の遠くなるような話が
身近な会話の中に当たり前に出てくるのです。
明治の歴史が目の前にやってきたような思いがしました。

中でも特に印象深かったのは、元首相が暗殺されたときの最後の言葉です
一般には、博文翁は打たれた後、狙撃者が朝鮮人と聞いて

「バカなやつじゃ」

と言ったのが最後の言葉ということになっていますが、
実際は全く違うらしいのです。

実際は博文翁は撃たれた後、

「オレはダメだ。誰か他にやられたか」

と聞き、森カイ南も傷ついたと知って、

「森もやられたか」

と言ったのが、最後の言葉だったそうです。
これはお父さん(博文の息子)が、現場にいた人たちから
直接聞いた話だから間違いないだろうということです。

「バカなやつじゃ」と言ったのは、
どうも新聞記者たちのデッチアゲだったらしいのです。
記者たちは当日ハルビン駅にはおらず、
蔡家講駅で足止めを食っていたことが確かめられています。
しかし遺体が横須賀についた頃にはすでに国中に広まっていたと言うことで、
お父さんが残念がっておられたと言う話をお聞きしました。

まさに真実は一般には語られることはないということでしょう。

乃木大将の敬礼

今、HPの「日本はどうなる」のリニューアル作業中です。
今までの予測をひとまとめにして、
これからの出す予測と分けようと思っております。

いい機会なので、過去の研究ファイルを引っ張り出してみたら
「明治天皇崩御」や「伊藤博文暗殺」のファイルが見つかりました。
よく勉強していたんだな~って見ていたら、フト思い出したことがあります。

実は私の事務所の土地は、伊藤博文翁のお孫さんから譲っていただいており
その縁で季節のものを送るようなお付き合いをさせていただいております。
その伊藤さんが「叔母さんから聞いた話だけど」と前置きして、
語っていただいた内容です。

ハルビンで暗殺された伊藤博文翁の葬儀が、
11月4日に日比谷公園で執り行われたときのことです。

~~あいにく昼頃から冷雨が降り出し、
 霊柩車が公園を出る頃には会葬者はみな去って、
 遺族だけが馬車で霊柩車に従っていた。

 誰もいなくなった沿道の先に小さく軍人の姿が見えてきた。
 「どなたかしら」とヒソヒソ話し合っているうちに
 馬車は進んでいき、乃木さんだとわかった。
 大将は雨の中敬礼の姿勢のまま、微動だにせず一人粛然と立ち続けておられた。
 窓から会釈したあと、馬車が通りすぎて叔母たちは振り返ったが
 見えなくなるまで、ズーッと敬礼しておられたのがとても印象的だった。

 叔母さんは葬儀のことよりも、乃木大将の敬礼に感銘を受けたらしく、
 ことあるごとに 「あなたもこういう人におなりなさい」とよく言われたよ。~~


と話していただいたことを、以前のファイルを見ているうちに思い出しました。

乃木大将は伊藤博文とは、仲がよかった、いや悪かったという話がありますが、
こういう話を聞くと、そんなことどちらでもいいような気がします。    
                                         (2月12日へつづく)

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プロフィール

小林秀守 (咲華)

Author:小林秀守 (咲華)
サッカアストロサービス主宰の小林です。

衝動エネルギーをマネジメントして
クライアントの問題を解決するのが私の仕事です

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