真実はいつも闇の中に2008-02-12 Tue 22:27
前々回(乃木大将の敬礼)のつづきなんですが、
伊藤さんの話を聞いていると、随所に日本の歴史を感じるところがあって びっくりさせられることが多いのです。 例えば 「…空襲が多くなってきた頃、吉田のおじさまの勧めで、 当時住んでいた家よりも、おじ様さまが持っていた空き家の方が 安全だろうと言って高台の○○町に引っ越した。 そうしたら空襲でそれまで住んでいた××町は全滅した…」 とおっしゃったのを何気なく聞いていましたが よくよく話を聞いてみると、「吉田のおじさま」とは なんと吉田茂首相のことだった、とか 「…博文翁が亡ったあと、井上のおじさまが家に乗り込んできたらしい。 それからというもの、親父はえらく厳しく教育されて辟易したそうだ…」 とおっしゃるのでよくよく聞いてみると 「井上のおじさま」とは、井上馨卿のことだったのです。 など、歴史の本を読んでも知りえないような話が次々出てくるのです。 その他にも、名前は控えますが、 「母方の○○さんは福井の松平春嶽候の○○で…」 という、はぁ〜と溜息をつきたくなるような気の遠くなるような話が 身近な会話の中に当たり前に出てくるのです。 明治の歴史が目の前にやってきたような思いがしました。 中でも特に印象深かったのは、元首相が暗殺されたときの最後の言葉です 一般には、博文翁は打たれた後、狙撃者が朝鮮人と聞いて 「バカなやつじゃ」 と言ったのが最後の言葉ということになっていますが、 実際は全く違うらしいのです。 実際は博文翁は撃たれた後、 「オレはダメだ。誰か他にやられたか」 と聞き、森カイ南も傷ついたと知って、 「森もやられたか」 と言ったのが、最後の言葉だったそうです。 これはお父さん(博文の息子)が、現場にいた人たちから 直接聞いた話だから間違いないだろうということです。 「バカなやつじゃ」と言ったのは、 どうも新聞記者たちのデッチアゲだったらしいのです。 記者たちは当日ハルビン駅にはおらず、 蔡家講駅で足止めを食っていたことが確かめられています。 しかし遺体が横須賀についた頃にはすでに国中に広まっていたと言うことで、 お父さんが残念がっておられたと言う話をお聞きしました。 まさに真実は一般には語られることはないということでしょう。
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